高座本 2015・5・30(土)[吾輩は坊っちゃんである]、晴れ、70,25キロ

 松山で、

 この噺[吾輩は坊っちゃんである]の読まれる日。

 二〇一五(平成二七)・二・八(日)のこと。
 新宿区区民ホールにおいて漱石山房の主催で〔漱石の散歩道〕が開かれ、
あたしも頼まれて、[吾輩は坊っちゃんである]を口演した。
 実はこの山房からは六年前にも依頼されているので、二度目の口演になる。

 その当日、羽織っ子連・要亭貴尾(たかお)さんも聞きに来てくれた。
 彼女はあたしの創作噺にも興味を持ってくれて、五、六席は稽古をしているし、
発表会でもいくつかは口演をしてくれている。
 それに内容が、彼女の夫の国許の松山が絡んでいるという理由もあったかもしれない。

 後日、彼女から「松山では演りにくいですね、この噺…」という感想を貰った。
 あたしは「そうだよね。漱石の原作自体が松山とは大喧嘩したような内容だ
からね」と答えたものの、胸の内では「原作の坊ちゃんは今では松山のヒーロ
ーのような地位にいる。創作噺の坊ちゃんだって、いずれ愛されていいはずだ」
と、希望的観測を抱いて呟いてみた。

 五月のある日、彼女から「今年の夏、仲間と松山へ行って落語を演ります。
それも、二日間。[吾輩は坊っちゃんである]はしませんけど…」との報告を受けた。
 落としっ子連の天租亭媛堵(えんど)、三味(しゃみ)の両者のお国も松山と知り、
声を掛けて地元で落語会をすることになったという。
 先方との打ち合わせの段階で、創作噺[吾輩は坊っちゃんである]の存在を知った
お国側は「読んでみたい」と高座本の注文をしてくれたという。

 それを聞いたあたしは「やったぁぁぁぁ!」と胸の中で大声で叫んでいた。

この記事へのコメント

でぇしょやの弥助
2015年06月01日 08:13
「坊ちゃん」のモデルは実在の人物で、
弘中又一さんといいます。
(旧制)松山中学をおやめになった後、
埼玉県に転じ、(旧制)熊谷中学で教えていました。
方程式のXを「エグス」と発音していたことから、
熊谷でのあだ名はエグス。
熊谷でも個性的な先生だったそうです。

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