高座本 2015・6・13(土)[一目上がり]。晴れ、69,25キロ

 高座本の、

 考察集に載せたくて、[一目上がり]の原話を探していた。
 複数あったて、その一つ。

 安永2年(1773)江戸板〔再成餅〕所載の「掛物」に、
「さて結構な御掛物でござる。上に書いてあるは何でござります」
「あい、あれは賛でござる」「こちらの上のは、なんでござる」
「あい、あれは詩でござります」「はい、又この沢庵とやらが書いたは、
なんでござります」「それは語でござる」といえば、
「そんならこちらの仮名で書いたは、六でござるか」

 時代とともに、落ちは「七福神の宝船」あるいは「いや、質の流れ」などがあり、
さらに「芭蕉の句」に至り、その後、文化5年(1808)板〔一九はなし〕
所載の「品玉」に、天文図を見せられて、「むずかしい十を書いたの」
「いや十一屋の書かれたの」を落ちとしてある。

 「天文図」と出てきたので、落語には似つかわしくない語彙と思い、
進んでいる内に「十一屋」が落ちに絡んでいる。「十一屋とは?」
 蔵が十一あったので「十一屋」と呼ばれた大坂長堀の質屋で、通称、
七代目の十一屋五郎兵衛、その頃には蔵は十五もあったので、
自ら「十五楼主人」とも号した。
 実は町人の天文学者、はざま間重富のこと。

 ちょいと、待てよ、と、はざま間重富を調べてみると、過日、
羽織っ子連・有難亭真仮名に案内された伊能忠敬に辿り着いた。

 となると、あたしの[一目上がり]には亀田鵬斎、一休、七福神、
松尾芭蕉、会津八一の名を登場させているのだが、間重富の名も登場してもらおう。

 その前に、エドベンチャーの書籍部のN文亭空女に間重富のことを書いた
鳴海風の本を注文しよう。

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