日暮 2013・5・11(土)関山和夫先生の通夜。雨、68,25キロ

 関山和夫先生の通夜へ。

 尾張一宮の駅前の斎場。

 人間誰しも10月10日があって、生まれると、あとズーッと生き続ける。
 そしてあるとき、瞬間に死に至り、無となる。続けるものはなくなる。

 しかし、偉大な故人と触れ合って、残された人間が生き続ける限り、
その人達の言の葉に故人の生前における行動、思想が生き続ける。

 そして、その人達も死に、偉大な故人を語る者がいなくなったとしても、
記録されたものがあれば、何百年、何千年経っても、見る人、読む人が、
いて生き続ける。

 新幹線で会場の一宮へ向かったが、ふと、思い出した言葉がある。
 話芸。

 この言葉は関山先生が節談説教から落語の系譜を研究する内に
数多く口にしたり文に書き留めたりして、一般用語になったものだ、
とあたしは思う。
 NHKテレビで〔日本の話芸〕という番組があるが、その証左と言ってもいい。

 読経を聞いていると、思い出されることがどくどくと頭から流れ出す。
 
 先生は研究家であって、演ずる人ではない。
 が、しかし、と、あたしは敢えて言わせてもらう。

 先生の講演、講義をなんどか聞かせてもらい、また、あたしの圓窓五百噺を
聴く会では毎回、解説のコーナーを依頼していた。
 それらを聞くのが好であった。聞き惚れることもあった。

 その、話術というより、話芸と言ってもいいほど、説得力のあるいい調子なのである。
 説得力、、、、、話芸の大切な基本を先生は持って、演じていた。

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