コラボ 11月2日(日) [ぞろぞろ]

 2日、興善寺でコラボ[ぞろぞろ]。

 今まで、篠笛の真理ちゃんとは何度かやってきたが、今回はやり方を
ちょっと変えた。

 あたしは[ぞろぞろ]の高座本を置かず、フリーでやった。
 あとは真理ちゃんがあたしの噺を聞きながら、篠笛を入れたい箇所を
自由に決めて吹いてくれ、と頼んだ。
 真理ちゃんはやりにくいだろうが、あたしは気が楽。
 なにしろ、きっかけを気にすることがなくなったから。(笑)

 しかし、不思議で、笛の音を耳にすると、それに合わせて口の調子も
変わってきているのに気が付いた。
 いいことなのかもしれない。
 コラボなればこその口調が生まれたのかもしれない。

 今日は新しい発見があり、有意義であった。

この記事へのコメント

流三
2008年11月04日 20:00
私も、先日の梅ヶ丘で、眼鏡(老眼鏡?)をかけて語る師匠の姿を拝見したのが「新しい発見」でしたよ。
もう何度もコラボっていらっしゃるから、それぞれやりたようにやっても、自然に醸し出されて来るのではないですか?
圓窓
2008年11月05日 00:52
流三さんへ。

>> 梅ヶ丘で、老眼鏡をかけて語る師匠の姿を拝見したのが。 痛いところを突かれました。(笑)

 本来、落語ですから高座本は無しですべきです。そのほうが効果があるからです。
 以前、あたしは日本の浄瑠璃とか長唄が本を見ながらやるのを、「なしでやったら、もっと鑑賞者に感動を与えられるのに!」なんて、皮肉ったもんでしたが、、、、。(笑)
 落語は高座で創りながら演れると言ってもいいくらい勝手な個人芸なんです。
 コラボとなりますと、複数ですから勝手な個人芸は許されません。社会のルールのようにきっかけや間取りを決めても、もうこの歳では無理だということが、過日の[叩き蟹]を演って実感しました。
 覚悟を決めて高座本なしで演ったとしても、一つあたしがミスった場合、戸惑いするのが、指揮者、コーラス、合奏者など50人、60人の多数になると思うとゾーーーッをしてしまいます。
 とりあえず、回数を重ねて慣れるまで、高座本を前に置き、老眼鏡をかけてやってみようかと思ってます。
 [セロ弾きのゴーシュ]をよろしく、、、。
流三
2008年11月07日 22:38
そうですね。
師匠がよく仰っているように、落語は、監督・脚本・演出・音声・大(小)道具・主役・脇役・端役・・・、全部一人ですからね。
でも、コーラスのような大人数では大変だと思いますが、篠笛の坂本さんやギターの榎本さんとのコラボでは、もはや阿吽の息(域)なのではないですか?
「セロ弾きのゴーシュ」も、わくわくしますね。
圓窓
2008年11月08日 00:10
流三さんへ。

>> 落語は、監督・脚本・演出・音声・大(小)道具・主役・脇役・端役・・・、全部一人ですからね。コーラスのような大人数では大変だと思いますが、篠笛の坂本さんやギターの榎本さんとのコラボでは、もはや阿吽の息(域)なのではないですか?

  楽屋では篠笛の真理さんには「あたしの落語はファージーだから、アドリブの真理におなり」って冗談をぶつけてます。

>>「セロ弾きのゴーシュ」も、わくわくしますね。

 是非とも聞きにきてください。

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